- 対岸の彼女 (文春文庫 か 32-5)
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- 発売元: 文藝春秋
- 価格: ¥ 540
- 発売日: 2007/10
角田さんは大のお気に入り。と言う割にずっと呼んでこなかった対岸の彼女。
読んだ。とうとう読んだのだ。
読後感、なんでこんなにも表現出来ないのだろうと純粋に思った。
私が感じたのは一体、何だったのだろう。
喜怒哀楽では区別する事の出来ない、もっと遠い感情。
読んでいる途中で、何度か涙を零した。
葵とナナコがバイトをするシーン辺りから。
ぶっきらぼうだけど優しいペンションのおばさんが自分の生い立ちを告白する、まさにそこから、ナナコが帰りたくないというところまで。
とんで、女子高生2人の、2人だけの生活を描きだし、ついには2人心中するシーン。
そして、葵とナナコの再会。
等等。他にも所々で私は泣いた。
唯、その理由が一体なんであるのかは全く分からなかった。
似たような悩みを抱いていた事をきっかけに、女子高生とおばさんが打ち融けたことへの焦燥。
女子高生とは思えない生活と、その最後にあった心中、そのことに対する悲しみ。
あるいは葵とナナコとの再会への安堵。
どれもある。しかし、現在で私が感じたのはそれよりも、葵やナナコに対する、共感だったように思える。
考えて見るといくつも胸打つシーン、心を動かされたシーンがあったのにも関わらず、私は小夜子の話に泣いた記憶はない。
言うまでもないが、それは小夜子の話より葵の過去の話の方が読んでいて、"良い"というわけではない。
唯、葵やナナコの持つ感情の方が小夜子のそれより私に近しく感じられる。今の私には平凡でありきたりとも言える主婦よりは、友達と手を繋ぎ心中した女子高生の方が現実的に思えるのだ。
しかし、これらの思いは読後感とはまた違う。
葵とナナコの話は何故なら過去の話であるからだ。
現在はそこにない。現在あるのは葵はそのころとは全く異なった人物へなっていること。もう1人の主人公でありまるで昔の葵のような主婦、小夜子が葵の会社に入社したこと。それらが現在なのである。
この本のレビューを見ると多くに、リアル・現実的といった言葉が飛び交う。実際私もそう思ったし、そう思っている。さしてなにも起こらないというのまた事実である。
しかし、何も起こらない本なんて果たしてあるのだろうか。あったとしてそれは読者を動かせるのだろうか。まして、華々しい賞を受賞するだろうか。
見えないけれど、些細かもしれないけれど、確実になにか起こっている。
そしてこの本において、起こった"何か"とは間違いなく小夜子の心の変化だ。
1回目読んだ2008年年10月現在、私は主婦じゃない。というか結婚さえできる歳じゃない。けれど、小夜子の感情に対し、確かに"分かる"と感じた。仕事をはじめ、どんどん変わっていく自分自身、そして同じように変わるあかり。―そんなことを私も同じように感じた。
進んだと思ったら後退したり、そんなことを繰り返し、試行錯誤する姿が何と言うか―
この小夜子の話、小夜子に対する感情の方が、もしかして読後感には近いんじゃないかと思う。
唯それは、葵の過去という土台の上に成り立っている。
ラストの、小夜子のかすかだが確かな炎。
悲しみと痛みの上の小さな微か過ぎるけれどはっきりした意志。
時間軸と正負が混じり合うなかに感じたのはそのようなものだったのかもしれない。
終わったと見せかけてさらに行きますよ。
さらに。(笑)
でもその前に、一休み、一休み。
ひどく、陳腐ないい方になってしまうけれど、人と人のつながりって怖ろしいほど大きいと思う。
この"対岸の彼女"のなかには、その当たり前だけど意外に体感していなかった事実がはっきりと刻まれている気がする。
葵とナナコは心のどこかでとてもよく似た傷みを持っていて、お互いをとても信じていたのだと思う。
びっくりするくらい確実に。
勿論、そうじゃなきゃあんなことも出来ないのだろうし。
唯彼女達は些細な幸せをかなえたかっただけなのだ。なんの隔たりもなく2人で笑い合える日々。そんなちょっとの幸せを手に入れるために、彼女達はディスコに行き、とうとう屋上から落ちたのだ。
そんなかたい、かたい思いも時が経てば徐々に閉ざされていく。
殆ど出てこなくなる。
けれど、それらは消えたのではない。唯、閉まわれたのだ。奥底に。
おかげで、その感情は確実に存在するはずなのに、それなのに変化していく。
だから19歳の誕生日に指輪を送りあう事がなかったのも、それは忘れて閉まったからではない、と私は思う。
唯、開ける事が出来なかった。1度閉じてしまった感情を思い起こすことなど。そして文中にもあるように、怖かったのだろう、そう私も思った。
同じような感情を抱き、信じあっていた者が全然違うものを見て、自分達の過去を笑う事を、恐れて。
変化を、唯恐れたのだ。
けれど、実はずっと変わらずにいるのだ。
葵自身は確かに変わった。そしてそれはまるで、ナナコのようで。
葵は、異国で車をとめたその時から、2回目の運命を決めたのだと思う。
意を決して叫んだ、その時から。
でもそれでもそのときも、葵はナナコのことを思っていて―
そして会社の名前と言えば、プラチナ・プラネットだった。
私のエゴ、かもしれない。でも、葵は現在でも未だ、心の隅でナナコを探しているんじゃないか、とひっそりと思うのだった。
ナナコのようになった葵、葵のような小夜子。この2人がであって対岸の彼女は出来上がる。
35歳同士。勿論女子高生の頃とは違う。けれど、彼女達が互いに持つ感情同士は学生のころ持っていたそれににているのではないか。
2人は理解しあうことが難しい。立場が違い過ぎる故に。それでも、信じあおうとしている。
かつて自分がそうしたように。そう望んでいたように。
全然関係ないけれど、この対岸の彼女、勿論いい作品なんだけれど、
もしかしてひょっとしたら、いや多分、女性にしか感じられないところも多いのではないだろうか。
だってこの話の持つ負と傷みは、女性独自が生み出すものなのだから。