- 月魚 (角川文庫)
- 発売元: 角川書店
- 価格: ¥ 540
- 発売日: 2004/05
(とか言って、私も今まで何度か本の感想このブログに書き散らしたけど。)
けれど、いままで書いたのは、完全に長い文章を書く練習だったのが結構多かった。
今回は違う。
今までで殆どない、「この本は感想を書かなきゃいけない」という意識を持たされた。
(ちなみに今まででそう感じたのはもう何回言ったかわからない野中ともそ『宇宙でいちばんあかるい屋根』)
はてさて。
今回の本は三浦しをん『月魚』
どうだろう。今回のは結構、「あ」 という感じの本なのでは?
月魚も有名だろうし、何より著者が言わずと知れた三浦しをん。
周りの人に聞けば、少なくとも、「読んだ本はなくても名前は知っている。」と言われるだろう。(少なくとも。)
文庫しか買えないので、私が買ったのは、角川文庫からのもの。
今年の「夏の100冊」の中の1冊だ。私は中学生になってから、この各文庫による夏の100冊を買い漁るのが好きだった。まあ、その魅力はまた別の機会に。
何はともあれ、私はこの『月魚』にある程度目をつけていた。
(伊坂幸太郎『グラスホッパー』を読んで、角田さんの本1冊読んで、『いちご同盟』を読んで、おっと家にある、『麻薬書簡』も読まないと。その次に…ええと『枕草子』とどっち先に買おうかなー? 程度。)
しかしながら、優柔不断な私は本屋に行き、いざ買うぞと言うときになって、
「そうえいば、『絵のない絵本』も読みたい。」
「角田さんならどれにすればいいんだ!」
「『グラスホッパー』より『無重力ピエロ』がいいかなあ。」
等等と言い、急にどれを買えばいいか迷い始めた。
結局。迷ったときの癖。どれでもないものを選ぶ。
…こんな数々の名作のなかから(正直言ってたまたま)選ばれた『月魚』。
しかし私はこの本を読み終えた後、「ああ何て自分は失礼な事を。」と思うのである。
中々本題に入れないのだが、私はどうしても言いたい事がある。
本を選ぶとき、大抵は裏表紙や、夏の100冊のパンフのあらすじ(?)を読んで選んでいる。
月魚もそうだ。しかし。
全然、違った。それを読んで想像しているのと、全く違った。
それを書いた方の名誉の為に言っておくが、そのあらすじは間違っていない。その通りである。
本を読み、要約したらそうなる。間違っていない。
しかし、違ったのだ。
具体的に何が違うかと言うと、何とも表現しきれない。
けれど、それでも言葉にするならば、もっと具体的な話だと思った。
ごめんなさい。自分の語彙の少なさで、何だか不思議な表現になってしまった。
ええと。
こうある。「…ある夏の午後起きた事件によって、2人の関係は大きく変わっていき…。」
私はこれで、運命的に、ロマンティックに、刹那的に関係が変わると思った。
転校、親同士のいがみ合い、喧嘩、犯罪、死―
(ありがちな、と思わないで欲しい。)
改めて自分が思っていた物をあげてみて分かった。私がイメージしていたものは、つまり、別れ別れ、離れ離れになるということだ。それも、しょうがなく、「他動的」―という前提で。
蓋を開けてみれば、違った。
別れ別れ、まあそう言うことにも確かになっていた。けれど私が想像していたのとは全然規模が違う。
別れ別れと言うより、実際には敬遠、というものだ。
そして何より、「離れた」行為は2人が望まずとも、「自動的」であった。
さて…そろそろ本格的に書こうかと思う。
が、私にも読んでいる方にも少し休憩が必要だ。此処らへんで一区切り。
+ + + + + + + + + +
まずはじめに一言で言おう。
私はこの本を素敵だといい切れる。しかし、好きとはいい切れない。
読んでいる途中から、読み終わるまで、そして今もずっと、私はこの本に対してとんでもなく複雑な感情を覚えている。
言葉に表すことは殆ど不可能に近いのだが、無理やり言葉にするなら、「認められない」
月魚の世界観、人間関係。大好きだ。狂おしいほど大好きだ。
好きな人間関係、と言うものは人それぞれあるだろう。
日常世界はもとより、本の世界では特に、
私は馬鹿ばっかりやる男子の友情が好きだし、
裸足で夜道をダッシュしたり、寝転んだり、そして1人酒、という女性が好きだし、
恋愛関係を超越した、好敵手とも相棒ともとれない男女が好きだ。
それともう1つ、幼き頃から仲の良い「男女(数の意味で男>女)」のグループが好きだ。
(ちなみに、その中で女の子を巡って恋バトルなど起きるのは絶対にいやだ。)
そしてこれらと同等に並ぶ…何と言えばいいのだろう。
近しい男性(子)2人、が好きだ。友達、親友と呼ぶより、出来ることなら、恋人と呼びたい関係。
かなり、好きだ。
それなのに、いや、だから、なのか今の私には分からないけど。
月魚を純粋に好きとは言えなかった。こんなに好きな世界観なのに。
もっと言うと、
その関係性、そして罪を背負ったままの(あらゆる意味での)愛。
それはどちらも、私の書かんとしているものの1つである。
しかしながら、勘違いされると困るのは、自分が感じて居た世界観がこうして具現化して世に出されていたことに私が妬みやら絶望やらを覚えているわけではないと言う事。
そう考えたほうが、実は、しっくりくるのだけれど、けれどそうではない。
なんだろう。
行き成り、欲しかったものを手に入れてしまったときの呆気、なのだろうか。
あらゆる意味で、恐怖にも近い。
本に限らず、芸能人、音楽―なんでもそうだけど、何か足りない、というのがある。
アレでもない。寧ろ、何か余っているくらいだ。
もう1度見る勇気が出ない。
そう思いつつも、知らないうちに手にとって様々な場面をまた読んでいる自分がいる。
読み返さない。返せない。
そう思いつつも、続編読みたい、なんて分けのわからないことを言っている。
だから、読んで欲しい。多くの人に読んで欲しい。身勝手だけど。
誰か、教えて欲しい。
この本の魔力は何だ。
段々本もたくさん読んできて、読む能力もそこそこついたと自負している。
それなのに、ここまで困惑した本はない。
作者の意図が伝わってこないわけじゃない。理解できないわけでもない。
美しいし素晴らしい。
それでも何故か納得できない。
この甘美な恐怖は何だ。
私には分からない。見つけられない。
だから、この本を読んだ記憶が褪せていっても、この本は、この気持は頭の片隅に居座るだろう。
そして、私は何度もこの気持を見つけようとするだろう。
これからも、ずっと。
(そしてつぶやき。)
今更ながら、思うのは、あの気持を解く鍵として、読んだタイミングもあるのではないかと思う。
三浦しをんの本は、一度も読んだ事がなかった。
そして、月魚の本の前に読んでいたのは、私がもうダントツに好きで、
持っている本の冊数も、数えなくたって1番と100%言い切れる、角田光代の本だった。それも、エッセイ。
そして、あまりにも持っている世界が違った。
角田さんはアジアの服みたいな…なんていうか、ビビットカラーがいっぱい混ざったような…
いやもっともっと、たくさんの色が混ざったような世界。
三浦さんの本は、ガラス越しに見たみたいな、何の色にしても、とにかくスケルトン(?)な世界だった。
角田さんのあのたくさんの色を持ちつつ奥ゆかしい、日常的なドラマティックさにタップリ漬かっていた私は、
行き成り、スケルトンな、非日常的な現実味に落とされ、適応し切れなかったのかもしれない。
また新しい世界を発見してしまった事に、恐怖を覚えたのかもしれない。
私はこの本を素敵だといい切れる。しかし、好きとはいい切れない。
読んでいる途中から、読み終わるまで、そして今もずっと、私はこの本に対してとんでもなく複雑な感情を覚えている。
言葉に表すことは殆ど不可能に近いのだが、無理やり言葉にするなら、「認められない」
月魚の世界観、人間関係。大好きだ。狂おしいほど大好きだ。
好きな人間関係、と言うものは人それぞれあるだろう。
日常世界はもとより、本の世界では特に、
私は馬鹿ばっかりやる男子の友情が好きだし、
裸足で夜道をダッシュしたり、寝転んだり、そして1人酒、という女性が好きだし、
恋愛関係を超越した、好敵手とも相棒ともとれない男女が好きだ。
それともう1つ、幼き頃から仲の良い「男女(数の意味で男>女)」のグループが好きだ。
(ちなみに、その中で女の子を巡って恋バトルなど起きるのは絶対にいやだ。)
そしてこれらと同等に並ぶ…何と言えばいいのだろう。
近しい男性(子)2人、が好きだ。友達、親友と呼ぶより、出来ることなら、恋人と呼びたい関係。
かなり、好きだ。
それなのに、いや、だから、なのか今の私には分からないけど。
月魚を純粋に好きとは言えなかった。こんなに好きな世界観なのに。
もっと言うと、
その関係性、そして罪を背負ったままの(あらゆる意味での)愛。
それはどちらも、私の書かんとしているものの1つである。
しかしながら、勘違いされると困るのは、自分が感じて居た世界観がこうして具現化して世に出されていたことに私が妬みやら絶望やらを覚えているわけではないと言う事。
そう考えたほうが、実は、しっくりくるのだけれど、けれどそうではない。
なんだろう。
行き成り、欲しかったものを手に入れてしまったときの呆気、なのだろうか。
あらゆる意味で、恐怖にも近い。
本に限らず、芸能人、音楽―なんでもそうだけど、何か足りない、というのがある。
アレでもない。寧ろ、何か余っているくらいだ。
もう1度見る勇気が出ない。
そう思いつつも、知らないうちに手にとって様々な場面をまた読んでいる自分がいる。
読み返さない。返せない。
そう思いつつも、続編読みたい、なんて分けのわからないことを言っている。
だから、読んで欲しい。多くの人に読んで欲しい。身勝手だけど。
誰か、教えて欲しい。
この本の魔力は何だ。
段々本もたくさん読んできて、読む能力もそこそこついたと自負している。
それなのに、ここまで困惑した本はない。
作者の意図が伝わってこないわけじゃない。理解できないわけでもない。
美しいし素晴らしい。
それでも何故か納得できない。
この甘美な恐怖は何だ。
私には分からない。見つけられない。
だから、この本を読んだ記憶が褪せていっても、この本は、この気持は頭の片隅に居座るだろう。
そして、私は何度もこの気持を見つけようとするだろう。
これからも、ずっと。
(そしてつぶやき。)
今更ながら、思うのは、あの気持を解く鍵として、読んだタイミングもあるのではないかと思う。
三浦しをんの本は、一度も読んだ事がなかった。
そして、月魚の本の前に読んでいたのは、私がもうダントツに好きで、
持っている本の冊数も、数えなくたって1番と100%言い切れる、角田光代の本だった。それも、エッセイ。
そして、あまりにも持っている世界が違った。
角田さんはアジアの服みたいな…なんていうか、ビビットカラーがいっぱい混ざったような…
いやもっともっと、たくさんの色が混ざったような世界。
三浦さんの本は、ガラス越しに見たみたいな、何の色にしても、とにかくスケルトン(?)な世界だった。
角田さんのあのたくさんの色を持ちつつ奥ゆかしい、日常的なドラマティックさにタップリ漬かっていた私は、
行き成り、スケルトンな、非日常的な現実味に落とされ、適応し切れなかったのかもしれない。
また新しい世界を発見してしまった事に、恐怖を覚えたのかもしれない。
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